繊細な若いアーティストたちが社会的に背負わされがちなこと
こんにちは。本日もおつかれさまです。
本日は、才能に溢れながらあまりに早くこの世を去ったミュージシャンについて、エンターテイメント業界や社会全体の問題にも触れつつご紹介します。
音楽には、深い感情を表現することによって見ず知らずの人どうしを結びつけるという素晴らしいパワーがあります。
けれども、エンターテインメント業界には、アーティストの精神面に対する偏見がまだ根強く残っています。
精神的に不安定になったときにはリハビリ施設や病院へ行くことを勧められますし、長期的な依存症を治すための手助けを受け、元の状態をキープすることを期待されます。
すべての芸術に言えることですが、創造あるところにはビジネスが存在するため、繊細なアーティストたちは利用され、サポートを受けることができないまま、重い期待と責任を背負わされがちです。
芸術対ビジネスという対立的構造の中で、アーティストは脆弱な状況に晒されていますが、最終的に病気をアーティスト個人のせいにしているといった現状も見られます。
早逝したミュージシャンやその作品はロマンティックに語られることも多く、若くしてこの世を去ることがまるで偉大なアーティストの証であるかのように伝えられたりもします。
このような有害な信念があるために、突出した才能を持ちつつ傍目にも苦しんでいるのが見える若いアーティストたちは、必要とする支援から遠ざけられてしまいます。
このことを、偉大なアーティストなのだから当然と捉えてはいけません。成功し、生き急いで若くしてこの世を去るよりも、成長を重ねつつ長く活動を続けていく方がよりパンキッシュと言えるのではないでしょうか。
以下、惜しくも若い命を散らしたミュージシャン〜本来もっと評価されてもよいと思われる5人のアーティストたちをご紹介します!
【ジャニス・ジョプリン(享年27歳)】
アメリカ的な痛みを叫んだ歌手|ジャニス・ジョプリン
ジョプリンは、テキサスでの青春時代にいじめを受け、仲間外れにされた辛さから薬物に手を染めました。
サンフランシスコで中毒になった後、テキサスに戻り薬物を断って大学に入学、婚約もしました。当時既に音楽活動をしていましたが、スーパースターになるといった気配はまだなく、純粋に楽しんでいるようでした。
カウンセラーにも、病気を再発せずに音楽のキャリアを追求できるだろうかと相談していました。カウンセラーは、それは十分可能だし、でなければ他のテキサスの妻たち(その中でかなりの疎外感を感じていた)のようになるだけだと言い励ましました。
その後、サンフランシスコを拠点とするバンド、ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニーに参加するよう説得されました。両親に相談し、バンド仲間には彼女の周りでドラッグを使用しないことを約束させました。
十分想像でき得ることでもありますが、メンバーに加わって間もなくのある夜、共同アパートに戻ると招待客全員が薬物を摂取していたため、彼女は怒り「もう見ていられない!」と怒鳴り散らしたと言われています。
そのような環境だったので、1970年に早すぎる死を迎えるまで、薬物依存症に陥ってしまったのも無理はありませんでした。この間、初期のいじめもさらに深刻な形で続いていて、その辛さを語ったインタビューが残されています。
また、彼女はバイセクシュアルとの噂もありました。当時もし女性に対する豊富な選択肢があったなら、さらに素晴らしい音楽家になっていたかもしれません。
テキサス出身のバイセクシュアルの女性が、人としてミュージシャンとして、依存症経験者としても、自分らしさを発揮できる人生を切望していたなら、そして社会的にも安全が保証されていたならばと残念でなりません。
【ビギー (享年24歳) & トゥパック (享年25歳)】
1996年と1997年に、アメリカで偉大なラッパーの射殺事件が起きました。犯人は一体誰なのでしょうか。
クリストファー・ウォレスとトゥパック・シャクールの二人はまだ若く、精神的問題や薬物の過剰摂取による死ではありませんでした。一年ほど間を空けて、似通った状況で起きた殺人事件であり、いずれも未解決のままです。二人とも信号待ちをしている際に何者かによって撃たれました。
二人の死により大金を手にした人たちがたくさんいます。警察の汚職問題や敵対関係にあったギャング、スタジオにまつわる問題など、原因には様々な説が飛び交っています。
そもそもストリートカルチャーとは、社会的人種差別によって活躍の機会が限られ、サポートも足りないがゆえに産まれたものであることを考えると、黒人男性として社会で思う存分活躍できていたならと、早すぎる死が惜しまれます。
若くしてアイコンとなったアーティストが、アイコンになったがゆえに若さと人間性を奪われがちであること。それは今なお続いている問題です。
【EAZY-E(享年30歳)】
ギャングスターラップのゴッドファーザーで、グループN.W.Aの創設メンバーである彼は、LAの荒れたストリートで育ちました。
アーティストとしてブレイクした後も音楽レーベルのキャリアを続け、最終的にBone-Thugs-N'-Harmonyと契約しました。
1995年にLAの病院に入院し、HIV/AIDS と診断されてから2週間のうちに合併症で亡くなりました。娘を含む多くの人たちが、診断後これほど早く亡くなったことに疑問を感じています。
80年代後半から90年代にかけては、エイズによる死が蔓延し、汚名を被るばかりで必要なサポートが得られず、教育的、社会的認識がほとんどなかったことを思い出すと胸が苦しくなります。
当時、エイズはゲイの病気と考えられていて、感染した人たちに対するサポートや解決策はまだあまり存在していませんでした。彼は、肺炎になるずっと前から症状を自覚していたようですが、おそらく病気に対する差別や偏見のために検査を受けなかったのでしょう。
現在もなお、同じ理由で病気が進行するまで検査を受けられない人たちはたくさんいます。
【アヴィーチー (享年28歳)】
スウェーデン出身のDJ、リミキサーであり、プロデューサー、ミュージシャン、ソングライターと多くの肩書きを持つティム・バーリングは、世界の名だたるアーティストへ楽曲を提供しつつ、自身のアルバムも絶賛されました。
成功後には、世界の飢餓を緩和するためのチャリティー団体「House for Hunger」を立ち上げました。
2018年に自死する前のこと、2012年には過度の飲酒による合併症で入院、2016年にツアーを引退しました。当時、健康ではないのにも関わらず、ツアーを続行するようマネージメント側からプレッシャーを受けていると語っていました。(ツアーは最も儲かる仕事です)
当時のマネージャーは、彼の抱えている状況に対し、精神的な問題と捉えることを拒否しました。ツアーをするよう圧力をかけ続け、飲酒を親が取り締まるようにしたのです。
このように、問題への根本的な対処をせずに行動のみをコントロールしようとするのは誤りであり、彼の場合も悲惨な結果につながりました。
マネージャー、アラシュ・"アッシュ"・ポルヌーリと、わずか18歳のときに契約していたことも問題を複雑にしていました。この年齢ではまだ経験が浅く、脳の衝動的な行動や感情をコントロールする箇所も未完成だったと言えるでしょう。
自分を信じてくれる人たちのためにお金を稼ぐよう努力するか、それとも無名のままでいるのとどちらがよいかなどと問われるのも、若いミュージシャンたちにとってありふれたことになっているようです。
もし行動のみがコントロールされるのでなく、本来彼が持っていたニーズそのものが満たされていたならば、今もなお活躍していたかもしれません。
以上です。もとより繊細で孤独に陥りがちなアーティストにとって、社会的状況が不利に働き、サポートを得られないまま重いプレッシャーや責任を負わされる現状があることがわかりました。
ミュージシャンたちには、生きて創作活動を楽しみ、心身の健康を保ちつつできるだけ長く活躍できるよう願わずにいられません。
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